安らかにと願うのは 決し情任せの言葉じゃない

 私は何本かの缶チューハイと煙草を持ってベランダに出た。さすがにもう寒くてじっと立っているのはつらい。部屋に引き返して厚手のストールとボアブーツを手にして戻った。ベランダにはままごとみたいに小さな机といすがある。それに座り缶のプルタブを開ける。プシュッといい音がしてほのかに香料の匂いがした。アルコール度数が9%のそれを一気に飲み干した後、煙草に火をつける。煙草を吸うのを辞めたのは五年前。また吸いだしたのは三年前。ちょうど二年間、禁煙をしていた。

 五年前に結婚するに当たって二人で約束した。お互いに煙草を辞めること、大きなカレンダーにそれぞれの予定をきちんと書くこと、一週間に一回は夫婦だけで過ごせる時間を設けること、悩み事があったら一人で抱え込まずに相談すること。それを掲げて手探り状態のまま結婚生活は始まった。

 妊娠が判明したのは四年前。私も旦那も両手を挙げて喜んだ。向こうの親御さんもこっちの両親も喜んであれを買うだのこれも買うだのまだお腹も目立たないうちに贈り物が次から次へと舞い込んできた。産着、ガーゼ、オーガニックのタオル、スタイ、ゆりかご、ベビードレス、ベビーメリー…あっという間に広くはないアパートの一角がプレゼントで埋まってしまった。

 だんだんとお腹のふくらみが分かるようになり、初めて中から蹴られた日には仕事中の旦那に電話をした。私は泣いていた。生きると言う事、それを繋ぐという事を実感した。丸みを帯びたお腹をさすりながら色々話した。小さかったころの話、彼と私が結婚に至った経緯、初恋の話、してもしたりない。旦那に話した事のない秘密もこの子には打ち明けられた。

 私があまりに早く会いたいからと願ったのがいけなかったのだと思う。あの日、急にお腹の張りが治まらずに痛みに耐えながら病院へ向かった。止まらない出血に不安を覚えた。まさかそんなはずはない。だって昨日までは元気にお腹の中で遊んでいたじゃない。お話もたくさんしたのに。病院に着くなりストレッチャーに乗せられそこで私の意識は途絶えた。

 目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。いすに腰かけている旦那は顔の前で手を組み俯いていた。理由は聞かなくても何となく理解できた。多分私の中には何もないからだろうと。目覚めたことに気づいた旦那は優しく私の額に手を置いた。

 もしあの子を産んでいたら世界は一変しただろうか。今まで何回も考えた。きっと答えは一生出ないだろう。くしゃみをひとつして、部屋に引きあげる。

 棚には小さなクマとウサギとキリンのぬいぐるみ、それとあの子のエコー写真。今日は特別寒いから小さな靴下も供えよう。

 電気を消して目を閉じる。あの子が寂しい思いをしてませんように。幸せでありますように。そして今、お腹にいる新しい命を見守ってくれますように。私はそっと下腹部を撫ぜた。