思い出ばかり積み重ねても 明日を生きる夢にはならない

 最近の病院はやたらときれいだ。デザインも色彩もなんとなく『丸み』を帯びている。海外のドラマみたいな派手なナース服に身を包んだ人たちがひらり、としなやかに踊るように働いている。この作業は一切苦じゃありませんよ、を意図してか口元はいつも緩やかで口角も上がっている。困ったことがあったら気軽にお声をかけてくださいねと言わんばかりに。


 私はそんな看護師の群れに気後れしてしまい、いつも伯母の病室にひゅっと逃げこむように入る。11階の病室の窓からは東京タワーがよく見える。「伯母さん、気分はどう?」コートをくるくると折りたたみ棚に置く。「少し調子が良さそうね。外はすごい寒さよ。」そう言ってマフラーをベッドの柵に掛ける。「お腹はすいてる?今日はおじやを作ってきたの。あそこのお味噌よ。やっぱり市販の味噌とは味が格段に違うわね。」


 伯母は目を閉じたまま何も言わない。最近は意識のある時間がぐんと少なくなった。おじやが入ったタッパーを伯母の鼻先まで近づけるがなんの反応もない。私はそれをトイレの便器に流した。



 伯母が不調を訴えたのは去年の秋だった。朝は霧のような雨だったのが昼過ぎから雷雨に変わり、その日から伯母は家に帰ってこなかった。付き添って行った母は一度帰ってきて大急ぎで数日分は困らない程度の荷物をこさえ、また病院にとんぼ返りした。


 三日後。入院は長期化することが決まった。「胃にどうも大きな潰瘍があるらしいの。それをとりあえず摘出しないと駄目だって先生がね。」


 五日後。「胃の腫瘍は悪性だったの。膵臓にも腎臓にも転移してどうしようもないって。」


 一週間後。「先生に言われたわ。余命三ヶ月ですって。」




 伯母はとてもきれいな人だった。


 伯母は生涯、独り身だった。幼いころの私は大人は結婚しているのが当たり前だと思っていた。だから何故伯母は結婚をしていないのかが不思議だった。その疑問は心身の成長とともに氷解した。伯母は私たちの『世界』とは違う『世界』に生きていたのだ。


 勤めを辞めた後も伯母は毎日の化粧は欠かさなかった。その日の用事がゴミを捨てに行くだけでもだ。そして自分を美しく保つためなら出費も惜しまなかった。明日から食べるものがない状況でも化粧品代を優先した。



 生真面目な母と享楽的で楽観的な伯母との間に諍いは絶えなかった。私はよく言った。姉妹なんだから、もっとお互いに分かりあえるはずじゃない、と。
「無理よ」
そう言って母は必ずこう続けるのだった。
「だってあの人の世界が分からないもの」




 冬場にも必要なのかと首を傾げてしまうドライアイスのおかげでただでさえ冷たい伯母の体温はゼロに近い。化粧をするためにまずは剃刀で眉と産毛を整える。傷ができないように集中して。それから生前、伯母が使っていた化粧棚からファンデーションを取り出す。生者にできて死者にできないのはクレンジングだ。失敗は許されない。黄疸を隠すためにきれいに、だけど厚塗りにならないよう気をつけてスポンジを滑らす。ピンクのアイシャドウはシャネル。小指を使って薄くまぶたをなぞる。チークはディオールの少し赤みがかったピンク色のもの。ブラシで丸く円を描くように頬にのせる。そういえば。


 伯母は赤やピンクといった派手な色が好きだった。服が暗めの時には差し色として薔薇のブローチや蝶々をかたどった髪留め等を身につけ、まわりに埋没しないよう配慮していた。何より伯母が嫌ったのは人と同じに扱われることだった。ひょっとしたら伯母は自分が無くなるのが怖かったのかもしれない。他人に押しつぶされ、『自分』がどこかに行ってしまうのではないかと。


 真っ赤なイヴ・サンローランの口紅を塗り終えると私はようやく立ち上がった。長い伸びをし、自分の鞄を拾いあげ化粧ポーチを取りだす。滲んだマスカラとアイラインをさっと整えてから伯母に声を掛ける。


 「きっとみんなが口をそろえて美人だって言うわ。きれいよ。」