不毛な恋と 君は笑うだろか?

 婦人科の扉を開くときはいつも緊張する。深呼吸を一度二度してから思い切って中へ入る。緊張の源は圧倒的な静寂にあるんじゃないかと私は思う。暖色のカーペットに白い壁紙。改築される前の白いリノリウムの床とベージュの壁紙の方が温かみがあったような気がする。あくまで無機質なそれらは私の緊張をほぐしてくれたものだったが今は違う。軽やかな音楽が流れているのに空気は重くソファに腰かけている女性たちは皆、神経をピリピリさせているように見える。そのせいで一層静けさに拍車がかかる待合室はいつも私を憂鬱にさせる。憂鬱の原因はそれだけではない。私は21歳で処女でそしてこれから子宮を失うのだ。
 子宮が悪いと告げられたのは去年の秋だった。医者は申し訳なさそうにじっと私の目を見つめ、今できる精一杯の対処療法を行うので望みは捨てないでほしいと言った。望みとは何だろう。赤ん坊を産む可能性のことだろうか。でも残念ながら私は学生で処女でこれからも赤ん坊など産む気はなかった。
 病魔は刻一刻と私の子宮を蝕んでいった。月に一度の検査では毎回励まされた。医者や検査技師や看護師からなど。一度、隣に座っていた老婆に話しかけられたこともあった。あんた、若いのに大変だねと。このままだと子宮を取ることになりそうですと正直に話すとその老婆は目頭を押さえた。そして言った。神に祈りなさい。
 それから季節はあっという間に過ぎ、夏が来た。検査結果を聞きに病院に足を運ぶと幾分やつれて見える医者が資料を整理していた。そして一枚のレントゲン写真を貼り、少し躊躇ってから説明を始めた。医者というのはなぜ難しい言葉を使って話すのだろうと上の空で聞いていたら最後に要約してくれた。「子宮を摘出するしかありません」と。はあ、としか返事ができない私を置いて医者は入院の手続きやら手術の日取りやら同意書の用意やらをすべてこなし、「ではまた来週」と初めて笑顔を見せた。
 入院前に身長体重血液尿心電図等ありとあらゆる検査を終えて家路についた。病院に罹っていたことを実家の両親に電話で連絡すると母は号泣し父は激怒した。でもすべては始まってそして近いうちに終わろうとしている。今更何を言われても覆ることのないことだ。私は両親をなだめて電話を切った。
 手術日当日。入院のしおりを見て完璧に準備をこなした私は病棟へ入った。荷物を戸棚へしまっていると看護師がやってきてこれに着替えるように、と緑のワンピースらしきものを手渡された。下着も脱いでワンピースだけを身につけたら次は点滴を打たれストレッチャーに横になるよう指示された。そしてそのまま手術室へ運ばれた。見事な連係プレイで10分もしないうちに私は手術室へと搬送された。ドラマで見たまんまの手術室がそこにはあって少しおかしかった。全裸のまま手術台に移動し麻酔をかけられると私は深い眠りについた。
 目を覚ますとそこは真っ暗やみの病室だった。手術は無事に終わったらしい。枕もとに置いておいた腕時計を見ると夜中の三時半だった。下半身から鈍い痛みが伝わってくる。ああ、おわったんだなあと思っていたら急に涙があふれ出した。
 私は21で、若くて、処女で、でも子供は産めない。
 神様、あの老婆の言っていた神様、もしいるのならば私の願いを聞いて下さい。この喪失感を消してください。からっぽな本来子宮があった場所を何かで埋めてください。きっとそれがあれば私はこの先何十年でも生きてゆける。お願いですお願いですお願いですお願いですお願いですお願いですお願いですお願いですお願いですお願いですお願いです。
 涙は止まらない。私は枕に顔を伏せ声を押し殺して泣いた。