ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調作品92より第1楽章

 村上春樹の新刊を読みましたか?私は読みました。ほうほう。

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 いつものように海の底に沈んだように静かで若干肌寒い部屋のベッドに横たわっている。少し獣臭いのは猫がいるからだ。その猫はだいぶ年をとり、寝てばかりいる。猫と赤子は寝るのが仕事だからと昔誰かに教わった気がするが本当に動かない。すうすうと安らかな寝息を立てて眠っている。ぐっすりと。そこまで私が断言できるのは一日中何をするでもなく猫を見ているからだ。観察ではない。その証拠に何もしない。メモを取るわけでも写真に収めるでもなくただひたすらに見ているだけだ。たまに読書をしている間は本に集中する。猫の方は見ない。黙々と文字を受け取り、時々分からない漢字があると辞書を引く。だから私の国語辞典はところどころ綻びオレンジ・ジュースのしみがついていたりする。その日もそうだった。トマト・ジュースを飲みながら図書館から借りてきたばかりの随分とくたびれた本を読んでいる最中、知らない漢字があった。それは私が29年間生きてきて生まれて初めて目にする漢字だった。知らないのならまず漢語辞典を調べねばならない。へんとつくりから索引を引き、長い時間かけて懸命に探したがそれはどこにも載っていなかった。考えられるありとあらゆるへんとつくりを調べても見つからなかった。多少うんざりしながらそれまでの文章の流れから推測してどういう意味なのか汲み取るしかないと腹をくくった時にふと、いつも猫がいる(ぐっすりと眠っている)はずの場所に目をやった。自然な動作だった。何かを思い出したかのようにさりげなく。
 そこに猫はいなかった。正確に言うとつい一秒前まではそこにいました、という跡が残っていた。敷いていた毛布は温かく丁寧によだれまでたれていた。匂いも新鮮なもので老猫特有の残り香があった。目を凝らすと細い毛が何本も抜け落ちているのも分かった。しかし猫はいなかった。もともと狭い部屋だ。隠れられるスペースなども(それがネズミ一匹であったとしても)ない。私は少し首をひねりほんの数秒前のことを思い出そうとした。まず漢語辞典を取る時に目の端に猫はいた。確かに。そして辞典をめくる。いつもより時間がかかったが五分もなかっただろう。そして探している漢字がないことに絶望しベッドに戻る。その瞬間に果たして猫は存在していただろうか。私の頭は混乱していた。頭痛も始まった。けれども思い出せなかった。猫は、いつ、消えたのだろうか。
 こめかみを押さえゆっくりとベッドに腰かけた。頭の中で音楽が鳴っている。ヤナーチェックシンフォニエッタだ。まだ学生の時にブラスバンド部で演奏した。演奏会では銀賞だった。今でも昨日のことのように思い出せる厳しい練習と夏特有の湿った空気とぬるい風。何でこんな時に思い出すんだろう。これまで進んで思い出したことは一度もなかったのに。ホルンの地味なパートを思い出す。猫はまだ戻らない。ますます頭痛はひどくなった。

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 海辺のカフカよりはこっちのが好きです。個人的に。続編出ないかなあ。