深夜3時・飲み屋・始発待ち

 「シキュウ・ナイマク・ショウ?」僕はおうむ返しに尋ねた。すると彼女は「そう、子宮・内膜・症。」とゆっくりと僕に分かりやすく単語を区切って言った。突然に。だけどあくまで自然に。雲ひとつない空を見上げて「今日はいい天気ね」とでも言うように。それはなにか生きていく上で誰もがかかる病気なのだと言わんばかりに。ただ僕には残念ながら生まれつき子宮を持っていなかった。男だからだ。だから彼女が何の脈絡もなく(それまで僕たちが交わしていた会話は最近観たくそつまらない映画についての批評だった)その『子宮・内膜・症』という言葉はひどく僕を驚かせた。
 動揺を気取られないように煙草に火をつけ一呼吸置いてから「それはどういう病気なんだろう?生きていくのにいささかまずいことがあるのだろうか。」と僕は聞いた。「そうね。生きていくのに多少は不便でしょうね。」と彼女は答えた。そしてまるで僕を脅すかのように眉間にしわを寄せて話し出した。それは子宮という器官をもっていない僕が想像するのには少し難しい話だった。
 「病名そのままに単純な病気よ。子宮の内側の膜に異常が起こるの。それはたまに不正出血を伴ったりあるいは全く出血しない場合もある。大体は投薬で様子を見るの。3か月ごとに検診があって子宮の中を金属製の何かで…その何かは私の方からは見えないようになっているの。カーテンで仕切ってあってね。ともかくそのひやりとした金属製の何かを子宮の中に入れて掻き回すの。もちろん掻き出した組織を調べるためには必要な行為よ。だけれどそこは体の奥にある内臓なのよ。内臓と一緒なの。麻酔もかけないで。医者は痛くないから、すぐ終わるからなんて言いながら3回も4回も子宮の中をまぜこぜにするの。痛くないからなんてもちろん嘘よ。大嘘。十分に、十二分に痛いのよ。電気が全身をビリビリ駆け回るような痛み。頭の中心にまるで五寸釘を打ち込まれた感じ。これは決して大袈裟じゃないの。無事組織を取り終わったら私は診察室の隅の方で小さくなって下着をつけるの。出血もするからきちんとナプキンをつけてね。ねえ、世の中にこれだけみじめなことってそうそうないと思うわ。基礎体温計のグラフを医者に見せて内臓を引っ掻き回され痛みをこらえてそして一人で下着をつける。私はこれだけの話を半日だっておそらく一日中話せると思う。だけど誰も理解できないの。理解をしてくれようとしないの。ひどいときには「もっと苦しんでる人がこの世にはたくさんいるんだよ」と諭されるの。だけど私の言ってることとは一つもリンクするところがないの。大抵のまともな・一般的な女性にさえそう言われることがあるわ。「あなただけが苦しいんじゃないわ」って。そうしてみんな立派な、女性としての誇りのように赤ん坊を産むの。時々考えるわ。じゃあ赤ん坊が産めない私は何なんだろうって。もちろんそんなことを考えても答えなんか出ないの。そんなのは初めから分かっているの。私は一生母親なんかになれないって。」
 そう彼女は一気に話し深いため息をついてからジン・ライムを呷るように飲み店員に同じものを注文した。「どう?あなたには理解できる?その、病気に関してではなく私の言いたいことについて。」僕は少し唸ってから「完全に理解することは難しいと思う。」と答えた。「でも最後のくだりについて僕の見解を言ってもいいかな?」どうぞ、というように彼女は煙草に火をつけた。
 「きっと君は周りの常識にとらわれすぎているんじゃないかな。そして激しく嫉妬をしている。世間にだ。そして自分を、自分の存在を貶めている。誰しもが母親になる必要はない。そして運よく母親になれたとしてもそれが『正しい』選択方法だったかなんて分かりゃしないんだ。もし産めないけど子供が欲しいのなら養子をもらえばいい。それだって『家族』だ。もしかしたら君の描いている『家族』以上に満足な生活が待っているかもしれない。」
 彼女は煙草の煙をゆっくり吐いた。そしてしばらく面白くもないやにの付いている壁を見つめて考え事をしているようだった。そうしてぽつりと「生まれ持っての性格・考え方ってすぐには変えられないものね。」と言った。僕は一言「もしすぐに変えられるものなら僕は今頃ハワイに住んで3人の娘に恵まれ日がな一日海辺で横になってるね。」と言ってピーナツをかじった。「もしそうなら」彼女は煙草を灰皿に捨てて「私は女優になって1分刻みのタイムスケジュールでくたくたになってるわ。」僕らの冗談は深夜3時の闇に吸い込まれていった。実際この手の話は深夜3時の飲み屋でするのが正しい。