運命も超えられる 奇跡も起こるはずさ 信じ続ければ

 バイト面接前日にして困ったこと発覚。ここ一年のブランクをどう説明しよう。馬鹿正直に「心の風邪を長引かせまして・・・」なんて言ったら最後。私が面接官だったら即落とす。つうか実際心の風邪どころの話じゃないし、かといって適当なところで適当に働いていましたってのも突っつかれるとすぐにぼろが出てしまいそうだし、なんてったって正直者だもの。あたい。
 そんなこんなで風呂に浸かりながら色々考えた結果、一番良さげな案を挙げてみます。

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 私には将来を誓い合った彼がいました。小さい頃からの幼馴染。何をするにもふたり一緒だったのでお互いの親からも「あんたたちはまるで双子みたいね」と笑われたりしました。私たちも小学校に入るまでは兄弟だと勘違いしていた位です。血の繋がりが無いと理解した年にふたりは誰にも秘密の約束をしました。それは「おとなになったらけっこんをする」という幼児期にありがちの約束でした。けれど当時は子供なりに真剣に考えたもので今でもその大切な約束を書いた紙(下手な字で「いっしょうのあいをちかいます」と、ありその下にふたりの名前が書いてある)は私の一番の宝物です。
 こういった経験をお持ちの方はお分かりいただけるかと思いますが大抵の場合は実現しないものです。子供の、ちょっとしたお遊びのひとつとして片付けられることが多い中、私たちのこれは現実の話になったのです。順調に交際を続け、大学生最後の春にプロポーズを受けました。彼は前述した紙片をポケットから取り出し「これ、覚えてる?」と尋ねてきました。私はそんなものが残っていたことにびっくりしてしまい、わあ、懐かしいとそれを受け取りました。「法律的にはまだ有効なのかしら?」とおどけて聞いた私に彼は「もちろんだとも」とうなずき、こんどは小さな箱を差し出してきました。まさか・・・。恐る恐る箱を開けると緑の石がはめてある指輪がでてきました。私の誕生石のペリドットです。途端に涙が溢れ、何も喋られない私の背中を彼がずっとさすってくれていたのを覚えています。
(中略)
 そんな幸せも長くは続きませんでした。大学を卒業し結婚資金を稼ぐために働き出した翌年の冬、彼が病魔に侵されていると知ったのです。そして長い間、自分に気づかれぬようこっそりと通院していたことも・・・。私も彼も仕事を辞め、これまでに貯まったお金はすべて彼の治療代に充てました。日に日に弱っていく彼はやがて普通の生活すらできぬようになり、入院することになりました。私は毎日病院に通い彼と共に過ごしました。それでも希望を失わなかったのは「絶対に治るから」という彼の言葉を信じたからです。また元の暮らしに戻り、結婚しようという夢があったからです。しかしそれは果たされることなく夢のまま終わりました。享年25歳。あまりにも若すぎる死でした。
 彼がいない三ヶ月はあっという間に過ぎました。葬儀やその他で忙しく、悲しんでる暇もありませんでした。でもそれからが地獄でした。毎夜、彼の死を信じられなくて泣いている間に朝が来ます。彼がいないこの世界で私はひとりで生き続けなければいけない。それが重く肩にのしかかります。神様はなぜ彼だけを連れて行ってしまったのか。どうして私も一緒に連れて行ってくれないのか。そんな思いが渦巻き、いつしか私の日常は様変わりしました。
 お酒を浴びるように飲み、繁華街をひたすらに歩きそして声をかけてきた男についていく。ひとりで泣き明かして迎える朝よりも名前も知らない男に抱かれて過ごす方がマシだ。肌が触れ合っている時にだけ自分の姿が浮かび上がる。私はここにいる。生きているのだ。
 そんな堕落した生活が続いたある日、ポストに私宛の手紙が投函されていました。大きくて決して上手ではないけれどきっちりとした見覚えがある文字。まさかと思い裏返してみるとそこには彼の名前があったのです。「・・・嘘だ」慌ててその場で封を切りました。時間が巻き戻ったかの錯覚に陥りながら手紙を開きました。
『誕生日おめでとう。たとえ今、僕が隣にいなくとも心は一緒だ。まためぐり会える。』
たった一行の文面ともう一枚、やけに古びた紙が同封されていました。折り目から今にも破けそうなそれは幼い頃の愛の誓約書でした・・・。
 そしてやっと己を回復した私は彼と最後に約束した「世界一のテレフォンオペレーターになる」の言葉の元に面接に来ました。申し遅れました、わたしく相葉ウリコ26歳無職です。亡き彼と交わした約束を守るべくはせ参じました。一生懸命頑張ります。

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 妄想癖がある子も人事の方は遠慮するんじゃないか、とのご意見は採用いたします。