退院後、初めての外出はやはり病院へ赴くことだった。空は昨日までの突風と大雨が嘘だったかのように青く晴れ渡り澄み切っていた。急に昨日は本当に嵐だったのだろうか、と不安になった。私は表に出ていないし窓すらも開けていない。なぜ嵐だったと知っているかというとニュース番組を見たからだ。テレビに映し出されていたのはどこからみても仰々しく完璧な突風と大雨の様子だった。
 しばらくマスコミが総力を挙げてただの善良な一般市民であるところの自分を騙す必要性について色々と考えてみたが一つも思いつかなかったのでやはり昨日は嵐だったのだろうと自分を納得させた。とにかくそう感じてしまうほど奇妙に晴れていたということだ。
 私にとってはただの苦痛でしかない診察を終えた帰路の途中で突然に喫煙したい衝動に駆られた。特にきっかけがあったわけじゃない。ただどうしても今すぐにあの黒い煙を肺いっぱいに吸い込まないととてつもなく悪いこと(たとえば局地的な大地震であったり身内が命を落としたり等々)が起こるのではないかといった強迫観念のような何かが私を襲った。しかし私は去年の夏に禁煙を決心して以来今日まで煙草との関わりを一切断っている。だが場合によっては最悪の事態が待っているかもしれないのだ。私が煙草を吸うことでそいう事態が避けられるのならばと自分に強く言い聞かせ、適当な自販機で適当な煙草を買い足早に帰宅した。
 部屋に入ると真っ先に窓を開け放った。長いこと閉めっぱなしだった窓の桟には埃がうっすらと積もりカーテンはくたびれて見えた。埃を手のひらでさっと払い灰皿代わりのトマトジュースの空き缶を置いて煙草のパッケージを開けた。それだけの動作でずいぶんと心が落ち着いていくのが分かった。丁重に箱から一本取り出し咥えたところで肝心なことに気付いた。
 ライターがない。
 自分のまぬけさに少し苛立ちながらも台所のガスコンロに火をもらいに向かった。
 前髪が燃えぬよう慎重に点火し、そのまま吸いそうになるのを必死に抑え(部屋がヤニ臭くなるのはもうごめんだ)再度窓へ向かう。窓の枠に身を乗り出し深く吸い込んだ。大量の煙は実にスムーズに私の中に取り込まれ体の隅々までしみ込んでゆくようだった。久しぶりの感覚に陶酔しながらもただ無心に一本をあっという間に灰にし自然と二本目に火をつけた。
 そうしていくうちにさきほど急激に湧き上がった残酷な強迫観念のような何かが煙と一緒にするりと体外へ出されていく感じがした。吐き出された煙は空へ高く上りやがて空気にとけ込んでいく。そんな様子をぼんやり眺めているとある歌の一節が思い浮かんだ。
 「それでも生きていかざるをえない」
 まったくその通りだ。人間は生きていくべきなのだ。たとえ何があろうとも。
 短くなった吸殻を缶に入れゴミ箱に投げ入れてからぐったりとしているカーテンをむしり取った。こんなにいい天気だ。洗濯物もよく乾くだろう。